浅間山麓徒然日記5も激動の2011年とともに幕を閉じ、2012年からは
浅間山麓徒然日記6がスタート。2012年10月からはスタイルを変えて(ほんのちょっとですが)、恒久的に続けていきます。どうぞよろしくお願いします。
- 2018/03/30(金) 14:17:11|
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2011年、明けましておめでとうございます。
この日記の分家仲間「浅間山麓徒然日記4」も2010年とともに幕を閉じ、2011年からは
浅間山麓徒然日記5を始めました。明日からは3月・早春バージョンです。よろしかったら見に来て下さい。
とコメントしたものの、春が来るより先に東北地方太平洋沖地震が来てしまい、休載しておりましたが4月になって再開し,
今は実りの秋からもうすぐクリスマスバージョンです。どうぞよろしくお願いします。
- 2011/12/19(月) 21:54:35|
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2010年、明けましておめでとうございます。
この日記の分家仲間「浅間山麓徒然日記3」も2009年とともに幕を閉じ、2010年からは
浅間山麓徒然日記4を始めました。よろしかったら見に来て下さい。
と、1月1日にコメントしましたが、浅間山麓徒然日記4もスタートから毎日更新。もうすぐ「浅間山麓徒然日記5」へバトンタッチの時期が近づきました。どうぞご覧下さいね。
- 2010/12/25(土) 19:15:01|
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基本的にはお気楽日記。「ホスピスで親を看取る」の本家筋
浅間山麓徒然日記2の日記も一段落。これからは
浅間山麓徒然日記3 に移行して、今は晩秋バージョンへ入りましたぁ。よろしかったら来て下さい。
- 2009/11/22(日) 11:08:00|
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お越し下さった皆さん、こんにちは。私は KUNIE と申します。
長野と
東京の二重生活をおくる、どこにでもいるサラリーマンです。
年齢は40代ということから両
親も平均的といいましょうか70代で、そろそろ私の祖父が死んだ歳に近づいてきたかなぁ~という時に平成20年の春に父を
胃ガン で亡くしました。
その時のことを自分のブログ
浅間山麓徒然日記2 に四十九日が明けた後に連載したのですが、ブログ自体はお気楽口調で進めてきたことと、ブログの性質上過去の記事は段々とトップページから奥へ奥へと追いやられていきます。
また、そろそろブログを引っ越そうか
(浅間山麓徒然日記3)と考えたのをきっかけに、その前にこれを独立して読みやすいように頭から読み進められるよう組み替えました。
実は父を亡くす前年に、姉を大腸
ガンで亡くしており、その姉が
ホスピスに入って逝った経験が私を、そして父の気持ちを後押しして、
ホスピスで安らかに逝くことができました。
ご覧いただく方がもし
ガンを患っている、もしくはお身内に
ガン患者がいるといった方が多分お見えになるんじゃないかなぁと思いますが、
これは、あくまでもどこかにいた70代のおじいさんが
ホスピスで逝った
という記録でしかありません。
皆さんの参考にはなるように書いたつもりです。でも、皆さんそれぞれの環境は異なると思います。
どうか、闘病でがんばる方も、そうでない安らかな日常に向かう方も、それぞれに良かったと思える道が開けることを希望しています。
◆お断り
・完結させたブログのため、コメント、トラックバックへは対応しておりません。
・基本的に更新しないので、FC2が30日未更新のブログに入れる広告を防ぐため、簡単なメッセージを冒頭に定期的に入れることをご了承ください。
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- 2008/11/24(月) 11:22:15|
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5月10日の日記でもお話ししましたが、今年3月に父が死にました。享年77歳。
胃ガンでした。
5年前くらいにその当時の会社で厚生関係を担当した時に知った厚生労働省の平均寿命の発表が、確か男性77歳、女性84歳だと記憶していたので、
まぁ、人並みだな。俺も40代だし、
親が死ぬのに何の不思議もないわな。俺のじいさんが死んだ年に
親父も40代だったしね。
と自分を納得させるのにそう時間はかかりませんでした。
個人的な感情は私だけのものなので、特にその変遷をペラペラ喋るつもりもなく、ただ最近の余命宣告から病院で死ぬこと事情を綴って、ほんの一例ではありますが、これからの自分の身の上に待ち受けている方のお役にたてばと思う次第です。
下書きしていくうちに結構なりそうな感じになってきたので、途中中休みを入れながら進めていきましょう。
今日は手始めに話しの全体のデータを列記して、その折々に感じたことなどは、明日以降から綴り始めます。
特に、こんな状況とはしばらく縁がなさそうな人には申し訳ないのですが、日記なのですみません。中休みを設けますので、そちらをお楽しみにして下さい。
父=享年77歳。平成20年3月死去
母=75歳
私=40代(サラリーマンでフツーのオヤジ)
私の家族=色とりどり
父の病状進行
(1)19年2月の胃カメラで
ガン発見。
(2)5月の検査で胃の表層だけでなくリンパ節までの転移を発見。切除手術中止。抗
ガン剤治療開始。
(3)11月に背骨の
圧迫骨折で
東京都新宿区の慶應義塾大学病院に入院。
(4)12月に慶應義塾大学病院で内科医より余命宣告。
(5)平成20年1月、
東京都中野区の
佼成病院ホスピス病棟転院。
(6)3月、
佼成病院にて死去。
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- 2008/11/24(月) 07:28:35|
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さてさて、それでは昨日の日記に列記した順にコメントしていくことにいたしましょう。
父は糖尿病の持病があって慶應義塾大学病院に通院していたのですが、昨年春に主治医が転出するので胃カメラを念のために飲んでおきましょうということで飲んでみたら
ガンが見つかったというのが事の始まりでした。
自覚症状がなかったのと、医者も瓢箪から駒だったので
見つかって良かったですね。
と言われたのが災いして、本人はすっかり初期
ガンだと思ってしまったわけです。
それからリンパ節への転移がその後の検査でわかって、そこが手術に難しい場所なので外科手術はせず抗
ガン剤で病巣が小さくなるのを待とうということに。
実はこの年の暮れに、抗
ガン剤治療が始まった時点で末期手前で生存率が云々される「ステージ3」(4が一番上)であったと医者から聞かされたのですが。
抗
ガン剤治療が始まっても「眠気」以外の副作用がなく(普通は人によりますが、めまい、吐き気が凄いそうです。)、もともと痛みなどなかったものですから、本人は治療を真面目にやれば五分五分ぐらいの確率で後何年かは生きられると思っていたようでした。
私も気になって昨年夏に定期診察についていってみたのですが、治療方針の考え方を確認しただけだったので、そもそも父がどのステージにいるかの確認を漏らしてしまうことに。
「自分は初期だ」という思い込みは父を
ガンによる死の恐怖からかなり遠ざけてくれましたが、逆に動ける時にしか出来ない事(例えば故郷の九州に帰ることとか)のチャンスを逃してしまったことになったわけです。
今は生死の行方を含め、病状の本人告知は当たり前と思い込んでいましたが、それが正確であるかどうか患者本人以外の客観性が必要だったなと今は反省しています。
明日へ続く。
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- 2008/11/24(月) 07:27:40|
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11月になると、父が腰が痛いと言って寝込んでしまいました。
腰の両脇が痛いんですね。片側一ヶ所だけなら
ガンによるものであることが考えられるんですけど、二ヶ所同時ですからねぇ。
2度目の受診に付き添った時、そう言う内科医の言葉に「そうですよねぇ」と同じように「?」状態のまま、前回より効力アップの医療麻薬級の強力痛み止めをもらって帰ったものの全くダメで、「どうしても痛い」ということで緊急入院(個室1日3万円なら空いているという条件を泣く泣く呑んで)させて、治療と並行して検査してみたら
背骨の一つが
圧迫骨折しています。
?????(
親父は何かに乗っかられたり挟まれたりなんかしてないぞ)
皆さん、背骨は複数のブロックのような骨と軟骨がつながって屈んだり反ったりできるのはイメージできますよね。
そのブロックのような骨の一つが、身体の重みや上の骨など周りの圧力に耐えられなくなって凹んでしまう状態なんだそうです。
金属疲労の骨版?別に跳んだり跳ねたりしないのに、ある日突然なるんかい?
ええ、お年寄りには多いですね。
病院の看護婦さんからそう言われると、妙に医者から言われるより納得感がありました。ふ~ん、そうなんだ。
私が呑気に納得するのをよそに、父の「痛い、痛い。」はこの後結果的にずっと最後まで続きました。なんでも、身体の痛みのなかで骨の痛みが一番強いそうです。
調子が悪い時には抗
ガン剤治療の錠剤は止めてよしが医者からの指示でしたが、とても続けられる状態ではなく、いったい
ガンはどうなってるんだろうという思いを置き去りにして、父の痛み止めの措置は試行錯誤を重ねながら続きました。
明日へ続く。
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- 2008/11/24(月) 07:26:41|
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父が入院し、現状と治療方針のレクチャーを病棟担当の主治医から受けた時に言われた言葉が
とまぁ、
圧迫骨折はこのように砕けたところが固まるのを待つしかないわけです。痛みは今がピークで、固まってることによって少なくなります。
次に、お父さんの
胃ガンの件がご心配なわけですが、残念ながらはっきり言って長くはありません。1年は無理。もって半年。更に早まることも考えられますね。
病状が治療によってこれ以上治癒する見込みがありませんので、治癒させることを目的とした特定指定病院である大学病院で引き続き受け入れていく事が難しいので、訪問診療による在宅療養か、受け入れてくれる別の転院先を探すことを検討なさって下さい。今日はその事もあって「療養支援室」のスタッフも連れてきています。
え?!
「聞いてないよ~!」はダチョウ倶楽部のネタでしたっけ。悪い冗談だろってか、何をどう捉えて行動に移さなきゃいけないのか、よくわかんねぇぞ。
短くなったとはいっても今すぐ死なないのはわかったが、早々に出てけとはどういうこった。
親父は起き上がることすらままならない病人であることは誰が見ても明らかなのに。
私の頭が混乱している脇で、療養支援室の看護婦さんが
在宅ケアを受けるにしても、今からでは年末年始の休みにかかりますし、年明け迄はこちらにいることを前提にしなければ、患者さん側に無理があると思います。
と、助け舟を出してくれました。
あんた、いい人だぁ!
これが昨今噂に聞く健保改悪による患者退去勧告かいと思いながら、ダメとわかれば昨年大腸
ガンで死んだ姉貴の時と同じ
ホスピス転院だなっと、私はオートマチックにスイッチが入ってしまったのでした。
明日に続く。
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- 2008/11/24(月) 07:25:47|
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父を
ホスピスに転院させようと思い立ったのは、姉が昨年
ホスピスで亡くなった経験によりますが、
ホスピスとは積極的な
ガン治療はせず、疼痛(痛みの除去)コントロールが中心で、結局人は死ぬから楽に死にたいという人向けの施設です。
しかし
ホスピスは希望者が多く「待機」が常識だそうで、んじゃ慶應の医者がレクチャーで触れた
・別の受け入れてくれる病院を探す。
・疼痛コントロールでも抗
ガン剤治療でも訪問診療を受け在宅で過ごす。
を考えにゃあならんのかなぁ?
なんというか保険診療の点数の関係か、医療制度が「入院」から「在宅」への転換が今のご時勢であるかのように提示されました。
要するに、直らんやつは病院にいるな、長患いはお断りという感じですね。
ホスピス転院に向け動き始めるのと並行して、脚の不自由な母と昼間勤め人の私の二人で「在宅」で末期
ガン患者を訪問診療で看護するって「あり」ですかねぇ?と療養支援室の看護婦さんに相談したら
無理!
と、はっきり告げてられました。
じゃ、今の父のような、
圧迫骨折の痛みは引いてくるとして、それとは逆に
ガンの痛みが増加してくる人を面倒みれる一般病院てありますか?との問いに
あなたの実家のような
東京の西の方なら中央線の西荻窪に一軒ね。
一つ?一つだけですかぁ?
そ、そこしかないわ。
ホスピス並みにちゃんとできるところはね。
(ムムム、ホスピスのハードルも高いのに、バッファーも1つだけかい。)
トホホな思いを感じながらも、ネットなんかじゃ値踏み出来ない確かな情報で選択肢が少し広がったことをよしとしたい(もともといい事自体が少ない状況なわけだからね)と思いましたとさ。
明日に続く。
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- 2008/11/24(月) 07:24:41|
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今日の最初にお断りしておきたいのですが、今まで淡白に書いてきたこともあって、慶應病院は冷たいところというような印象を受けられたかもしれませんが、現行の医療制度下での大学病院が末期
ガン患者に冷たいのであって、慶應の消化器内科病棟の個々のスタッフは、とてもよく働き優しい気持ちのいい人たちが多かったでした。
そして、消化器内科病棟のスタッフ以上に助けになったのが、ここの病院の療養支援室の看護婦さん。
父は慶應には昨年11月から今年1月までお世話になったのですが、その間、転院に向けての現実の状況と私の家の事実から考えてやるべきベストの道を、その都度
親身に一緒に考えてくれましたね。
療養支援室というソーシャルワーカーの仕事が専門の部署で看護婦さんの経験を持ち働いていらしたので、「在宅」「転院」など慶應病院から出た外の環境での実際の看護について詳しかったのが何より助かったのです。
どうしても病棟の看護婦さんだと、入院したベッドにいる患者を患者の家族がどうできるのか?、というその二つ以外の外部要因を含めて考えてくれることの難しさ、外部支援の最新情報の不足など、病棟のナースではこういった側面がどうしても劣るのでした。
こんな、私を支援してくれる人に助けられながら、転院に向けてバタバタと走り回ることとなったのです。
皆さんも患者の家族となると、大きな病院でない場合は事務課の中にソーシャルワーカーに助けてもらうことになるのでしょうが、事務方上がりのワーカーさんだとしたらナースとしての知識・経験がある方からのアドバイスもあると、よりこちらの情報の絞り込みが楽になります。是非そういう人を見つけるとよいでしょう。
明日へ続く。
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- 2008/11/24(月) 07:23:41|
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さあ、
ホスピス探しです。
さてさて、
東京にはどれだけの
ホスピスがあるのか?
ネットで「
ガン ホスピス」なんて入れてクリックしてみると、大抵「国立がんセンター」のホームページが若い順位で出てきます。
がんセンターは
ガン専門の医療機関として機能していますが、治療だけでなく研究・広報にも力を入れているので、ここを見にいけば「
ガン」に関する基礎的な知識習得は済んでしまいます。安っぽい本を買うなら、こちらを見にいくことをお勧めしますね。
で、ここのホームページの一角「がん情報サービス」から都道府県別の
ホスピスのリストを見ることができます。私もここから探しました。
今、緩和ケア病棟(
ホスピス)として
東京都でアップされているものだけで全部で18病院約342病床(うち聖路加病院は現行化されてなかったので20と仮定しました)です。
さて、この数字をどう捉えたらいいのでしょうか。数字の遊びになるかもしれませんが、ちょっと計算してみましょう。
今年3月の都民の推計人口が約1千2百万人。平成14年の厚生労働省の人口統計で日本の人口は約1億2千万人。日本の1/10が
東京にいると仮定し、ならば日本の
ガンで死んだ人の1/10も
東京で死んでいると仮定します。
平成14年の厚生労働省・人口動態統計におけるこの年の死亡数は約98万人。これの死因トップは悪性新生物で約30万人。第2位は心疾患約15万人。第3位脳血管疾患12万人。第4位肺炎約8万人。
三大疾患のうち、心疾患と脳血管疾患は、死が徐々に迫る病として
ホスピスに入院するのが個人的にはイメージ出来ない(救命救急室とかリハビリ病棟とかじゃないですかね)ので、ここでは便宜的に対象母数に入れないこととして、30万人のうち10%の3万人が
東京で死ぬホスピスを求める
ガン患者の想定出来る最大数とします。
もちろん、この数字は年間計なので月により死亡数にも上下がありますので、ホスピスに入るという視点から見た場合、仮に父と同じく入院2ヶ月で死去するのを平均と仮定すると、病室は年間6回転するので3万人を1ベッド6人迎え入れられるから6で除して5千人がある時期における入院希望者となります。342ベッドを5000で除すると6.8%が答えです。
これは全くおおざっぱな仮定に基づくものですが、
ガン患者の全員がホスピス入院を望む訳ではないという競争率のマイナス要因もあれば、余命6ヶ月以内が入院要件なので他の疾患の人だって入院を希望するだろうだとか、がん情報サービスの同じページで千葉県=4病院、埼玉県=2病院なのでこれは隣県からも流れ込んでくる要素大だろうという競争率のプラス要因もありな訳ですから、単純に100人希望者がいて希望が叶うのは7人弱というのはあながちハズレではないように思うのですが、いかがでしょうか。
明日に続く。
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- 2008/11/24(月) 07:22:40|
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